「ユニバーサルデザイン」タウンミーティング

フォーラム水窪

2006年10月03日 14:09

9/30、天竜の光明公民館(素敵なところでしたよ!)にて、浜松市の施策のひとつである「ユニバーサルデザイン」についてタウンミーティングがありました。

私は、浜松市がこんなことをしてるの、初めて知りましたが、今回集まった天竜以北のかたがたも、ほぼ同様のご様子でした。

ユニバーサルデザインと言えば、誰にでも使いやすい工夫をしてある製品、施設、建築物などのことだと思っていたのですが、市の施策としての「ユニバーサルデザイン」は、もっと広い意味を持っています。
「年齢、性別、国籍、身体能力などの区別無く、誰もが暮らしやすい工夫を、市民、事業者、行政がそれぞれの立場で進めていきましょう」ということだそうです。

一見、バリアフリーと混同しちゃいそうですが、バリアフリーが、ある一定の人たち(高齢者、乳幼児、障害者、などなど)を対象としているのに対し、ユニバーサルデザインは全ての人を対象にしているのだそうです。
たとえば、一見して分かる交通標識や、トイレ・非常口のマーク、簡単操作のリモコンや携帯電話などがこれに当たります。

で、今回の会議の前に、浜松市南部のかたがたで、同様のタウンミーティングが行われたそうですが、特に、中央部との格差が問題になったようです。

今回は、名だたる高齢者地域、北遠地区での会議です。特に、山間部に点在する、集落の対策、北遠地区を訪ねる外国人に対する対策などが話題となりました。

絶対に話題となるだろうと思われそうな中央との格差については誰も発言する方がいませんでした。
山間部と言う、立地条件の中に住まう人たちは、不便な生活に慣れており、欲が無いんです。これ以上不便にならなければ、とりあえず、生活していければ、という、基本姿勢があり、その中で、とにかく、何かと不都合を強いられている山間部のお年寄りだけでも何とか便宜を図っていただけないか、という参加者の気持ちが、とてもけなげで、いとおしくさえなりました。

聞いていて、そんな話は、ユニバーサルデザインでもなんでもない、もっともっと基本である、人権の問題ではないのか?そんなことは、できていて当たり前のことであり、そのうえで、ユニバーサルデザインを語ろうよ、という、怒りにも似た気持ちになりました。

国際都市を標榜するのもいい、緑と豊かな水源を売りにするのもいい。でも、緑と水源を守ってきた、山間部のお年寄りをないがしろにすれば、そこに住まう若者は、自分の将来に希望を持てなくなり、売り物の、森も川もなくなっちゃうぞ。山に住まう人々よ、遠慮すんな、もっと声高らかに要望を叫べ。

・・・などと考えながら、皆さんのお話を聞いておりましたが、今回はそういう会議ではないので、私としては、以下のような発言をしてまいりました。

まず、北遠地区に住む人たちは、設備の上でのユニバーサルデザインなど、中央部と同等のものを期待しても、無理であると承知している。最低でも、もっと見やすい道路標識などの設置を願う。
しかしながら、不便なりに、住民の相互扶助は、都市部より、自然な形で生活に入り込んでいるので、「心のユニバーサルデザイン」の充実として、この施策の周知徹底や、人を思いやる心を育てる教育などに力を入れてほしい。

中途半端な設備より、ベビーカーを電車に乗せようと四苦八苦しているお母さんを、さっと手伝ってあげられる人が増えたほうが、ずっと暮らしやすいと思います。